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ヴェズレー
Vézelay

その他

特産品

ヤギのチーズ(Fromage de chèvre) : ヴェズレーチーズ(Le Vézelay )はフレッシュなヤギのミルクを使って農夫により丁寧に仕上げられたチーズ。ドーム型をしており稀に青みがかったものもあるが、基本的に白く真珠のように光沢があるのが特徴。繊細でまろやかな風味。MG45%。ヴェズレーチーズは前菜からデザートに至るまで、様々な味と調和し、色々なかたちで食通を魅了させる。(ガティネ地方のハチミツやサラダとも相性抜群)。また質は繊細で柔らか味があるため、ヴェズレーワインやシャブリワインともよく合う。
最も美味しく食べられる季節は春から秋にかけて。

ヴェズレーワイン(Vin de Vezelay):
ヴェズレーやその近郊に点在するぶどう畑の歴史は、ガリア・ローマ期まで遡る。
その生産は13世紀に絶頂期となり、ぶどう畑は500ヘクタール以上にまで及んだ。
しかし1884年、フィロキセラ虫害によりブドウ園は荒廃。
その後1970年代後半、ぶどう畑が再生され、1985年“ブルゴーニュ(Bourgogne)”の名称を得た。1997年、”ブルゴーニュ・ヴェズレー(Bourgogne Vezelay)”の名称が認められ、その他アスカン(Asquins), サン=ペール(Saint-Pere)、タロワゾー(Tharoiseau)の3つの区域とともに、繁栄。今日、ヴェズレー(Vezelay)のブドウ畑はおよそ100ヘクタールにおよび、主なぶどう品種はシャルドネ(Chardonnay)、その他ムロン(Melon)やピノ・ノワール(le Pinot noir)などの品種も僅かながら生産している。

歴史

中世からキリスト教の聖地とされ、マリー・マドレーヌの聖遺物に接するために信者は足を運んだ。またスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の出発地にもなっていた。クレルヴォーのベルナドゥスは1146年、この地で第2回十字軍に説教をおこなった。

フィリップ・オーギュストとリチャード獅子王は1190年、第3回十字軍のため集結した。サン・ルイ国王はヴェズレーで内省することを好んだ。

12世紀の後半、「サン=マキシマンでマリー=マドレーヌの聖遺物を発見した」という噂が広まり、旧プロヴァンス地方のヴェズレーの繁栄は最後の時を迎え、巡礼者から徐々にヴェズレーの記憶は消えていった。世紀末には、教会は略奪や火災に遭い、宗教戦争やフランス革命からも逃れることができなかった。
19世紀、教会は廃墟と化し、プロスペル・メリメは若き建築家、ヴィオレ=ル=デュック大聖堂の修復を命じた。修復作業は1840年から1870年にかけておこなわれた。1870年、サンスの大司教は、聖マリー=マドレーヌの聖遺物を復元させて巡礼地は復活。
1920年6月28日、ブノワ法王15世によってマドレーヌ教会が大聖堂内に建立された。これは大きな名誉となった。1946年の平和十字軍は約4万人の巡礼者が一堂に会した。
1979年、大聖堂とヴェズレーはユネスコ世界遺産に登録された。その後1997年には大規模な修復工事の訴訟手続きが完了。2003年には新たに4つの鐘がサン=ミッシェルの塔とサンタントワーヌ大聖堂に建設された。

著名人

ロマン・ロラン(Romain Rolland) (1866-1944):
ヴェズレー近郊のクラマシー(Clamecy)出身の作家。1915年にはノーベル文学賞を受賞。1938年から1944年まではヴェズレーのサンテチエンヌ通り(rue St Etienne)に住んでいた。20世紀初頭から第一次世界大戦前後の混乱を越えて、『コラ・ブルニョン』、『ジャン=クリストフ』など10巻の著作を発表、世界に大きな影響を与えた。一般公開されている彼の邸宅は現代美術館「ミュゼ・ゼルボ」となっていて、クリスチアン・ゼルボによってヴェズレーに遺贈された数々の素晴らしいコレクションを見学できる。

ル・コルビジュエ(Le Corbusier) (1887-1965):
ヴェズレーでの友人、バドヴィッチ(Vadovici)の家にたびたび滞在していた有名な建築家。ヴェズレーでは随所に彼の影響を受けた民家が建ち並ぶ。

ジュール・ロワ(Jules Roy) (1907-2000):
小説家、作家。著作「愛の炎」を捧げた大聖堂のすぐ近くに自宅を構えており、学校通りに位置するこの家は一般公開されている。彼はヴェズレーの墓地に埋葬されている。