アンジュ伯・フルク・ネラは1005年頃、トゥールに通ずる高台の方面からトゥールに近づけないように、モントレゾールに堅固な要塞を建てさせた。この城壁の遺構は現在も目にすることができる。要塞は、この地方の統治をめぐってアンジュ伯とブロワ伯が対立した戦いで大きな役割を果たした。
12世紀に、モントレゾールは英国の手に落ちるが、要塞の入り口のところにある堂々たる塔は、その時に建てられたものである。
1188年、フィリップ・オーギュストによってモントレゾールは英国から取り戻された。
15世紀に入り、トゥーレーヌ地方に王の宮廷が置かれることが多くなるしたがい、モントレゾールは廷臣と召使いの生活の場となる。1493年、アンベール・ド・バタルネがモントレゾールを買い入れ、要塞をルネッサンス様式の優雅な住居に造り直した。彼は有力な人物で、ルイ11世、シャルル8世、ルイ12世、フランソワ1世など4人のフランス王の相談役を勤めた。また、彼は、家族の墓を納めるためにサン・ジャン・バプティスト参事会教会も建設した。
この城館は17、8世紀にもブルセーユ家、ボーヴィリエ家などの名家の所有に帰して、知られることになる。これらの名家はフランス革命をきっかけに没落し、1845年頃には、ジュフロワ・ド・ゴンサン伯がルネッサンス様式の建物の西側と礼拝堂を解体するにいたる。
1849年、城館はナポレオン3世の友人であるポーランド人伯爵、グザヴィエ・ブラニツキ(Xavier Branicki)の所有となり、修復され、家具や多くの芸術作品が備えられた。また彼はモントレゾールの所有地を近代農業実行のために開発した。当時、モントレゾールはナポレオン3世の皇太子との贅沢な祝宴の場となっていた。