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ミテルベルカイム
Mittelbergheim

その他

特産品

パンデピス:ハチミツ、シナモン、クローブ、チョコレート、オレンジの皮、アーモンドの入ったケーキ。かつてはミテルベルカイム周辺に多くの製造メーカーがあったが、現在はゲルヴィラーに2社あるだけである(LIPSとFORTWENGER)

シュークルート:アルザス地方の伝統料理といえばこれ。シュークルートに使われるキャベツは7月~11月に収穫される。モモ肉の燻製や骨付き肉、ハム、焼いたり燻製にした脂身、クネルなどを添えて食べる。じゃがいもを添えてもおいしい。合わせるなら白ワイン、特にリースリングがオススメ。ビールにも合う。

ベックオフ:豚や牛、羊、ガチョウなどの肉を使った料理。アルザスワインに一晩漬けた肉を、ジャガイモ、たまねぎ、ニンジンと重ね焼きした料理。

フラメンキッシュ:クリーム、玉ねぎ、細切りのベーコンを乗せて焼いた薄焼きピザ。

クグロフ:パンのブリオッシュ生地を専用の型で焼き、粉砂糖をまぶしたもの。

アルザスワイン:アルザスワインは一般的にブドウの品種名で書かれているものが多く、白ワインが中心である。ボトルはこの地方独特の細長い形をしており、生産地域での瓶詰めが義務付けられている。格付けは次の通り:AOCアルザス (AOC Alsace)、AOCアルザス・グラン・クリュ (AOC Alsace Grand Cru)、AOCクレマンダルザス (AOC Crémant d’Alsace)、ヴァンダンジュ・タルディヴ (Vendanges tardives)。またアルザスを代表するブドウ品種は次の7種である:ピノ・ノワール (Pinot noir)、シルヴァネール (Sylvaner)、ピノ・ブラン (Pinot blanc)、リースリング (Riesling)、ゲヴルツトラミネール (Gewurztraminer)、ピノ・グリ (Pinot gris) そしてミュスカ (Muscat)。アルザスワインは果実味が豊かで、8~10℃程度に冷やして飲むのがオススメ。平均1~4年と若いうちに飲むタイプが多い。
クレマンダルザス (Crémant d’Alsace)とはこの地方のスパークリングワインを指す。
またヴァンダンジュ・タルディヴ (Vendanges tardives)とはブドウの遅摘みのことで、通常の収穫よりも数週間あとに行われる。そのため貴腐化し、甘口で力強いワインとなる。最低3~4年、中には10年以上熟成させるものもある。なお使用品種はリースリング、ゲヴルツトラミネール、ピノ・グリ、ミュスカに限られている。

グランクリュ・ゾッツェンベルグ:ミテルベルカイムのワイン畑は、非常に陽当たりの良い丘にあり、ここは今では珍しくなった野生のチューリップが自生する数少ない土地である。中でもゾッツェンベルグは、村の南側に位置する丘(頂上は標高320m)の東南に広がる畑だ。小道には標識が立てられ、散歩しながら、バラエティーに富んだこの地域の景色を楽しむことができる。
土壌のマルノ石灰は適度に湿気を押さえ、一方で乾燥にもよくもちこたえる。これはとくにシルヴァネール、ゲヴュルツラミネール、リースリング、トカイ・ピノ・グリといった品種のブドウに適している。長期間ねかせたワインは、繊細さと類まれなコクを併せもつ。

歴史

フランク人によって基礎が置かれたミテルベルカイム(Mittelbergheim)は、昔はベルジュという名で呼ばれていた。496年にアラマン族に対してクローヴィス王が勝利を収め、その後に続いた平和な時代に、この村が初ったことは確実である。9世紀の終わりに、肥満王シャルル3世が后のリシャルドにこの村を贈った。その後で、この村はストラスブールの司教区とアンドロ家とベルカイム家、そしてストラスブールの町の所有物となった。

1255年、ストラスブールの大修道院に属するストラスブールの司教区は、ベルカイムに所有していた財産の半分をアンドロ家の一族のエベルタン家に売却した。
彼ら自身も末子の分家であるベルカイム家に、その一部を譲った。ベルカイム家の名前は彼らの住んでいる土地の名前に由来する。

1608年~1613年、この一家は自分たちの分け前をストラスブールの町に売却した。ストラスブールの町は、アンドロの大修道院がまだ所有していたいくつかの権利を、1566年にすでに獲得していた。このようにミテルベルカイムは同時に3人の領主が存在する変わった状況下におかれることになった。司教、アンドロの領主、ベルカイム家の3人の領主はそれぞれ3分の1ずつ権利を分け合った。
その後の互いの財産の売却によって、割合は次のようになった。3分の1以上をストラスブールの町が所有し、残りをアンドロ一族と司教区が分配した。それぞれの領主が奉行を任命し、ストラスブールの町は裁判権と公安権を握った。このような行政の状況はフランス革命まで変わらなかった。
歴史の流れの中で、ミテルベルカイムは数々の侵略を受けた。937年ハンガリーの襲来。

1438年アルマニャックの攻撃。村は要塞化されていなかったので、住民はダンバッハやアンドロの町、または近くの城などへ逃げ込んだ。

16世紀は、農民の一揆による荒廃と飢饉をもたらしただけではなく、ルター派の宗教改革運動が始まった世紀でもある。1530年から、貴族のアンドロ家はこの宗派に改宗し、プロテスタントになった。

1545年、新しいカトリックの小教区がつくられ、2つの教団が共存するという非常に難しい状況になった。
30年戦争の後、1648年にウェストファリア条約が締結され、アルザスの大部分の地域がフランス領になったが、ミテルベルカイムが実際に自由になったのは1680年だった。
フランス革命後に続く1790年の行政の大改革により、ミテルベルカイムはバ・ラン県のなかの、ベンフェルド地区のなかの、バーの小郡のなかにある1つの町となった。

総裁政府の時代の戦いの記憶にこだわらず、1870年から1918年の間にかけて起き、ミテルベルカイムはある種の変化を、有効に利用した。とりわけ、ブドウ栽培の分野において顕著だった。
初めは、好意的でなかったドイツの法律は、とにもかくにも、ブドウ栽培者がうまくやりくりできるような許可を出してくれた。

1895年、コルマールにおいてワインの取引所の設立、1900年、アルザス・ロレーヌ地方のためのブドウ栽培者たちの会社の創設、1911年、地域ごとの同業組合を1つにまとめた、エルサシッシュ・ヴァインボバーバンドという統一組織の組織である。

両大戦の間、村はあまり発展できなかったが、1950年以降、盛んなワイン取り引きのおかげで、村は急速に発展して花開くことになった。