ワイン :
コリウールのワインは赤、ロゼ、白とそろっている。いずれも辛口で、糖分は1Lにつき最高5gと抑えられている。1971年よりAOC(原産地呼称統制)ワインに登録されている。AOCの対象となっているのは、ラ・コート・ヴェルメイユ(la Côte Vermeille)の4つの村、コリウール(Collioure)、ポール=ヴァンドル(Port-Vendres)、バニュルス(Banyuls)およびセルベール(Cerbère)の合計1750haのブドウ園に限定されている。暑く乾燥し、風の強いこの地方は、年間日照時間が300日に近いこともあって、ブドウ栽培に適している。ブドウ園は海にまで達しているほど。反面、急斜面にある棚状のブドウ畑は機械化ができず、収穫も手作業に頼らざるを得ない。生産者は以下の通り(いくつかは街中にスタンドを出していて味見ができる)
ル・ドミニカン(Le Dominicain) - ショッピングの項、Le Cellier des Dominicains(ル・スリエ・デ・ドミニカン)を参照(www.dominicain.com)
ル・スリエ・デ・タンプリエ(Le Cellier des Templiers) - 18 rue Saint Vincent(www.banyuls.com)
ラ・トゥール・ヴィエイユ(La Tour Vieille) - 4 rue Berthelot(www.lapassionduvin.com/mag/latourvieille.php)
マニヤ=ピュイグ(Manya-Puig) - 7 rue de la République, 5 rue Berthelot、または市場で(http://manya-puig.e-monsite.com)
ピエトリ・ジェロー(Pietri Geraud) - 22 rue Pasteur、または市場(www.enviederoussillon.com/vins/domaine_pietri_geraud_3.php)
アベ・ル(Abbé Rous) - www.abberous.com
レ・クロ・ドゥ・ポーリーユ(Les Clos de Paulilles) - www.clos-de-paulilles.com
ドメーヌ・ベルタ=マイヨール(Domaine Berta-Maillol) - www.berta-maillol.com
ラ・ルクトリー(La Rectorie) - www.la-rectorie.com
アンチョビ :
コリウールの漁師はカタクチイワシ漁に全身全霊をささげているといってよい。膨大な量のこの小さな魚が、夏になると地中海岸に押し寄せる。塩をふり、水洗いをし、塩水に漬けられたアンチョビは郷土料理を彩る。1950年代、コリウールには約30のアンチョビの塩漬け業者があった。その多くはいまでは姿を消してしまったが、現在2社が、大量のアンチョビを世界に輸出している。
昔からカタクチイワシを3枚に下ろす作業は手仕事だが、さらにここでは、新鮮なうちに酢、塩、油に浸けるという他とは異なる作業がされている。これこそ、コリウールのアンチョビが美味しいアントレとなる秘密といえる。またアンチョビソース、アンチョビペーストもぜひ味わって欲しい。ショッピングの項、メゾン・ロック(Maisons Roque)とデクロー(Desclaux)を参照。 この2店の作業場は見学できる。
クロカン :
クロカンとは砂糖、小麦粉、卵、アーモンドでつくったカリカリとした手作りのお菓子。毎朝、観光客がその準備を手伝えるところがある。ショッピングの、ル・クロカン・ア・ランシエンヌ(Le Croquant à L'Ancienne)の項目を参照。
ルシヨン地方ではピレネー山脈の峠が低いため、長い間隣のスペインの影響を受けてきた。ここの住民であるカタロニア人は、フランス、スペイン両方の文化に属し、ペルピニャンと同時にバルセロナとも接触を保ってきた。
コリウールは、すでに7世紀から主にぶどう酒交易のための重要な港として栄えてきた。コリウールの城と村はルシヨン伯の領地だったため、ルシヨン地方を手にしたさまざまな王の支配に服し、変遷を経ることになった。スペインのアラゴン王(1172-1276)、ついでマジョルカ王が1343年まで統治したが、その後ふたたびこの地はアラゴン王のもとに復した。マジョルカ王の治世下では、コリウールの城は王の居城になり、港はルシヨン第一の地位を占めることになった。交易は非常に盛んで、毛織物、油、ぶどう酒を積み出し、反対に香辛料、オリエントの織物やエキゾチックな品々が船で運び込まれた。また、13世紀を通して数多くの十字軍がこの地を通過していった。
ルシヨン地方は、その後、フランス王ルイ11世により占領され(1475-1481)、コリウールの要塞群が建設された。ところが、その後継のフランス王はルシヨン地方をスペインに引き渡してしまった。
コリウールは、1643年、フランス王ルイ14世の軍勢により再び奪還され、ルシヨン地方は1659年にピレネー条約により、正式にフランスに併合された。その際、コリウールの戦略上の重要性が高名な軍人・建築家であるヴォーバンにより見直された。その結果、城を拡張するため古い村は徹底的に取り払われ、新しい要塞、サン=テルムとミラドゥーが建設され、現在の町並みの基本ができた。
1793年、コリウールはスペイン軍に占領されたが、翌1794年5月に、フランスのデュゴミエ将軍により回復された。
コリウールの港は、15世紀のアメリカ大陸の発見以後徐々に衰退していくが、19世紀に入ると、村は大きな経済的発展を遂げることになる。そのもととなったのは漁業の拡大、つまりアンチョビ産業の成功とそれに加えてワイン醸造である。
以来、コリウールの豊かな色彩は、マティス、ピカソ、ドランのような偉大な画家のみならず、エディット・ピアフ、シャルル・トレネなど多くの人々にインスピレーションを与えてきた。