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コリウール
Collioure

その他

歴史

ルシヨン地方ではピレネー山脈の峠が低いため、長い間隣のスペインの影響を受けてきた。ここの住民であるカタロニア人は、フランス、スペイン両方の文化に属し、ペルピニャンと同時にバルセロナとも接触を保ってきた。
コリウールは、すでに7世紀から主にぶどう酒交易のための重要な港として栄えてきた。コリウールの城と村はルシヨン伯の領地だったため、ルシヨン地方を手にしたさまざまな王の支配に服し、変遷を経ることになった。スペインのアラゴン王(1172-1276)、ついでマジョルカ王が1343年まで統治したが、その後ふたたびこの地はアラゴン王のもとに復した。マジョルカ王の治世下では、コリウールの城は王の居城になり、港はルシヨン第一の地位を占めることになった。交易は非常に盛んで、毛織物、油、ぶどう酒を積み出し、反対に香辛料、オリエントの織物やエキゾチックな品々が船で運び込まれた。また、13世紀を通して数多くの十字軍がこの地を通過していった。
ルシヨン地方は、その後、フランス王ルイ11世により占領され(1475-1481)、コリウールの要塞群が建設された。ところが、その後継のフランス王はルシヨン地方をスペインに引き渡してしまった。
コリウールは、1643年、フランス王ルイ14世の軍勢により再び奪還され、ルシヨン地方は1659年にピレネー条約により、正式にフランスに併合された。その際、コリウールの戦略上の重要性が高名な軍人・建築家であるヴォーバンにより見直された。その結果、城を拡張するため古い村は徹底的に取り払われ、新しい要塞、サン=テルムとミラドゥーが建設され、現在の町並みの基本ができた。
1793年、コリウールはスペイン軍に占領されたが、翌1794年5月に、フランスのデュゴミエ将軍により回復された。
コリウールの港は、15世紀のアメリカ大陸の発見以後徐々に衰退していくが、19世紀に入ると、村は大きな経済的発展を遂げることになる。そのもととなったのは漁業の拡大、つまりアンチョビ産業の成功とそれに加えてワイン醸造である。

以来、コリウールの豊かな色彩は、マティス、ピカソ、ドランのような偉大な画家のみならず、エディット・ピアフ、シャルル・トレネなど多くの人々にインスピレーションを与えてきた。